VOS,No.106

 にいがたみてある記 シリーズ57 [Back]

新発田のまちと赤谷線

 

中出 文平    



旧赤谷線の駅跡

 新潟駅からJR白新線に乗って30分ほどで新発田駅に着く。人口8万余りの新発田市は,今ではJR白新線と新新バイパスで新潟市と結ばれるなど,新潟郊外としての性格を強めているが,かつては県下では,榊原氏の高田藩15万石に次ぐ,10万石を擁す溝口氏の城下町で阿賀地方の中心都市であった。
 明治維新後,新発田連隊が設置され軍都として栄えるが,第二次大戦時に戦禍を被ることもなく,城下町時代の構造をそのまま残す。駅は,大正元年の羽越本線新津・新発田間開通時に城下町の東端に置かれたため町の中心ではなく,500mほど離れて始まる城下町期に町屋が立ち並んだ街道筋に形成された上町・中町・下町の商店街が中心である。その北側にあたる城郭部分をみると,内堀はほとんどが戦後埋められ宅地となっているが,本丸表門,旧二の丸隅櫓(やぐら)と堀の一部が残る。本丸と二の丸の部分には陸上自衛隊駐屯地と県立新発田病院が収まり,重臣屋敷地だった三の丸には,市役所,裁判所,検察庁,警察署,郵便局,図書館,文化会館といった公共施設が立地し,中心性と利便性を補完しながら,風情のある空間を作り出す。花嫁人形の詩の作者でもあり,大正浪漫の代表的な人気挿絵画家だった蕗谷虹児(ふきやこうじ)の記念館,建築家アントニン・レイモンド氏設計のカトリック教会もその一角にある。また,城下の東端部を南北に寺町が連なり,その一部に清水園,足軽長屋といった観光名所がある。
 町名をたどると,徒町,寺町,七軒町,八軒町,紺屋町,材木町,桶町,麩屋町,指物町といった城下町由来のものが多くみられる。長岡とは違い,幅も狭く曲がりくねった街路が多いが,町中に昔の面影を多く残すとともに,多くの公共施設が立地し,また,路地を歩いていると,ふっと思わぬ空間が現れたりもする。
 さて,駅の東側に目を移すと,自転車歩行者専用道が津川町につながる県道と織り成すように山あいへと向かう。これは,昭和59年廃止の国鉄赤谷線の跡地を活用して,市街地と内の倉湖を結ぶ全長12.5kmで計画されたものである。この赤谷線は,明治時代に本格的に掘り出した赤谷鉄山の鉱石運搬用の軽便鉄道を元に,大正末に旅客,貨物の輸送を開始したもので,始終点ともに市内にあった点で珍しい。終点までは残念ながら専用道は整備されていないが,東赤谷のさらに奥まった所に終点駅の痕跡がある。この沿線には史跡が多くあるとともに,紅葉の時期には見応えのある自然を楽しめる。

(環境・建設系 教授)