VOS,No.108


 私の抱負 [Back]

長岡技大出身を誇りに
南口  誠
(機械系 助教授)

 本年4月1日付で東京工業大学から転任してまいりました。思えば1995年に本学博士後期課程を修了し,はや6年が過ぎました。こちらでは機械系に在学していましたが,東京工大では金属工学科に勤務していました。学問のベースが異なるといろいろと“常識”が異なることを体験しました。東京工大では機械屋としての知識を学生に伝えることができたと思いますし,逆に彼らから異なった“常識”を吸収できたと思います。様々な分野を横断する新しい学問や技術が生み出される現在,機械だけ,金属だけの知識では通用しなくなっている気がします。今度は金属工学科の学生たちから得てきたものを母校の“機械屋”の卵たちに伝えていければと考えています。
 これからの“機械屋”は新しく生み出される分野に迅速に順応しなくてはなりませんが,直感的に物事を理解することや実際にやってみることの重要性は増していると思います。私が学生のころは“技大生は良くも悪くも考えないで良く動く”と言われていました。このことは私たち長岡技大出身の“機械屋”がこれからの新しい科学技術の進歩にも優れた適性を持っているということだと思います。もう少し学問の基礎を身につける必要はあると思いますが・・・。自分自身も,そして後輩たちも長岡技大出身の“機械屋”であることが誇りであり続けるように,研究と教育に尽力していきたいと思います。


私の抱負
上村 靖司
(機械系 講師)

 2年間小山工業高等専門学校に赴任し,再び長岡へ戻って参りました。学生時代の6年間を含めますと長岡技科大の一員としての生活は16年目に入りました。
 高専赴任前は,都市雪害の評価や克雪技術の開発を進めておりましたが,高専着任を機に教育者としてのスキルアップにも重点を置いて仕事をしてきました。「今どきの子供たちは...」などと言うと笑われるかもしれませんが,巷で言われる「授業崩壊」の一端を垣間見るような状況に直面し,当初はかなり面食らいました。しかし,担当した「情報処理」で,創造性教育を目指して実施したプログラミングコンテストを通じ,彼等の創造性の豊かさ,ポテンシャルの高さを実感し,一教師として多くを学ぶことができました。
 その一方で,社会情勢,教育環境,学生の質の変化に伴う高専の苦悩と,一部の退廃ぶりを目の当たりにし,早急な教育改革が不可欠であることを強く実感してきました。在任中,時代の変化に即した教育プログラム作成などの改革に積極的に取り組んできたつもりではありますが,まだまだ理想とするレベルには程遠く,力不足を思い知らされているところです。
 大学においても,同様な教育改善への取り組みが強く叫ばれています。本学の場合には高専との連携ということもとても重要な課題です。それらの取り組みに対し,この2年間の経験が役に立つのではないかと思います。そして,研究面では,雪国のアドバンテージを生かした新時代の雪国づくりのため技術開発を推し進め,雪を通じて環境・エネルギー問題の解決に貢献したいと考えています。


「私の前歴」
村上 直久
(語学センター 助教授)

 私は時事通信社という報道機関で今年の3月末まで26年間働いてきました。一貫して国際報道畑を歩み,ニューヨークに2年間,ベルギーのブリュッセルに5年間駐在したこともあります。ニューヨーク駐在はカーター政権からレーガン政権への移行期で米国国内が不景気だったことに加え,イランの米大使館人質事件が長引くなど世相はどちらかというと暗かったことを覚えています。それに時事のニューヨーク支局に勤務したわけではなく,米UPI通信社に出向し,米人記者の間に投げ込まれた形となり,まさに異文化体験でした。ブリュッセルにいたのは1989年から1994年で,当時の欧州は東西冷戦体制が崩壊すると同時に欧州統合が進むという歴史の転換期に当たり,超多忙ながらも充実した記者活動が送れたことを昨日のことのように思い出します。
 時事の本社では英文ニュースを書く英文部というセクションと外国から入ってくる英文の海外経済ニュースを日本語に翻訳・処理する外国経済部というところを回りました。二つともローテーション職場で,午前6時過ぎからの超早番や泊まり勤務もあったりして,今から思えばかなり過酷な勤務でしたが懐かしく思い出されます。
 4月からは本学で英語を教えていますが,理科系の分野で将来活躍する学生諸君の少しでもお役に立てればと思っています。