VOS,No.110

 卒業・修了を祝して [Back]

“縄魂弥才”と“縄魂技才”
 

副学長(研究担当)

飯 田 誠 之


 まずは卒業・修了おめでとう。この日を迎えられた諸君の前途が輝かしいものであることを心から願っています。
 “縄魂弥才(じょうこんやさい)”という言葉は哲学者梅原猛さんが長岡市市制施行80周年記念事業「地方文化の新時代」(長岡市制施行80周年記念事業実行委員会編:長岡文化シンポジウムの記録)と題したシンポジウムの講演で使われた言葉です。比較的耳になじんでいる和魂洋才は縄魂弥才が和魂韓才,和魂漢才を経て変化したものとの説明でなんとなく意味がつかめそうになってもらえたでしょうか。新しい技術は習得し,文化は大事に保存する,これが日本人の特性のようです。縄文の魂に弥生の才,和の魂に韓国の才,中国漢の才,そして最後が西洋の才となったのです。魂と才の対比が文献の上に現れるのは平安時代の関白道長の時代という(山本健吉:いのちとかたち,第五章 和魂漢才)。日本人はこの時代から人物評定をこの二つの基準によって行っていたようです。
 梅原猛さんによれば日本文化の根底は縄魂弥才だそうです。縄文の思想の中には生きとし生けるものは全部繋(つな)がっているということと,生命は死と復活を永遠に繰り返すという二つの考えがあるそうです。現代は,人間は動物・植物とは違うことを強調していて,一つの方向に向かって歴史が動いているという思想が強い。しかし近代科学は生命の根は一つだということも明らかにしています。つまり命あるものはお互いに繋(つな)がっているということです。もう一つの繋(つな)がりは死と復活による生命の生まれ変わりです。我々はこのような生命を未来に引き継がなければなりません。現代の病んだ文明をどう乗り越えるかが人類の大きな今日的課題ですが,この課題を解く鍵が上述のような縄文の思想の中にあるというのが哲学者梅原猛さんの主張です。
 我々の大学が標榜する「技学」は,実践の中から社会的に必要が生じたことを工学的センスでとらえて答えを出す姿勢に加え,既存の自然科学的知識をベースにするだけでなく人類にとって役に立つ新しい技術的価値をもつ科学を創造しようとする狙いをも持っています。自然科学をベースにした技術は通常,科学技術と呼ばれます。自然科学は自然を知ることを目的にしており,人類にとっての善悪の価値判断とは関係がありません。単純な,あるいは無限定な科学の技術的応用は―例えば環境破壊やある種の遺伝子操作など―人類に災いをもたらすこともあります。これに対し「技学」が標榜するものは,科学技術に内在する負の因子を取り除いた「技術の科学」を創造しようとする狙いをも持っていることをしっかりと心に留めておいてほしいと思います。
 我々の大学の近く,新設の歴史博物館のすぐそばには縄文の才,火焔土器が発見された馬高遺跡があります。また,大学の入り口の道路をはさんだ向かい側にも縄文の藤橋遺跡があります。その意味では皆さんにはひとりでに縄文の魂が乗り移っていることが期待されるでしょう。皆さんは技学の才“技才”だけでなく,前述のような人類の未来にまで思いを広げられるこの地長岡に象徴される縄文の魂をも持って活躍されることを願っています。梅原先生の言葉“縄魂弥才”に“縄魂技才”などという造語を並べて,大変恐れ多いのですが,お許しを願いつつ,諸君へのメッセージとしたいと思います。