VOS,No.110

 卒業・修了を祝して [Back]

米百俵の精神をもって
 

長岡市長

森   民 夫


 卒業・修了を迎えられる皆さん,おめでとうございます。それぞれ限りない可能性をもって,新しい世界へ歩みだそうとしている皆さんに心からお祝いを申し上げます。
 現在,経済不況や社会不安が私たちに重くのしかかっています。また,世界には国境や言葉などいまだに超えられない壁があります。皆さんの行く手には予測のつかない困難が待ち受けていますよと覚悟を促さずにいられません。
 厳しい時代であるからこそ,皆さんには明るく希望をもって旅立ってほしいと願います。皆さんには,旅に必要な知恵も力も備わっていると思うからです。
 その一つは,皆さんが身に付けた科学の理論や思考方法,科学に臨む態度などです。それは実験や実証という体験から生まれた知恵であり,本物の技術です。それこそ,いつの時代でも世界の人々と隔たりなく付き合い,理解し合える共通語あるいは標準語ではないかと私は思います。
 皆さんには,そうした体験の場を授けてくれた母校を誇りとし,身に付けた技能で世界の障壁に立ち向かい,乗り越えてほしいものです。
 もう一つ,皆さんの旅を支える心強い味方があります。「米百俵の精神」です。長岡で勉学に励まれた皆さんの心には,根付いているに違いありません。
 米百俵の精神を説いた小林虎三郎は嘉永6年(1853年),師である佐久間象山とともに浦賀沖の黒船を目の当たりにしています。
 その後,日本の国のかたちや人々の生き方まで変えてしまうほど大きな影響を及ぼした黒船は,当時の人々に将来への計り知れない大きな不安をもたらしました。
 不安だったのは,幕府も同じでした。老中としてアメリカとの交渉に当たっていた長岡藩主牧野忠雅を通じ,虎三郎は師の教えに従って横浜開港を幕府に提案したところ,一書生の分際で天下国家を論じるとは何事かと筆頭老中阿部正弘の叱責を受け,地元長岡での謹慎を命じられました。
 長い謹慎は虎三郎の身に病をもたらしましたが,虎三郎の脳裏から黒船の姿は消えませんでした。黒船こそ虎三郎に世界の大きさ,アメリカという国の力を伝える情報源であり,日本の不安の象徴であり,日本の将来を考えさせる原動力だったからです。
 日本が世界の国々と肩を並べるには?虎三郎は象山の励ましを受けながら,進むべき道を追究しつづけ,やがて「興学私議」を著します。
 それは,教育により人材を育てることが国を富ませる源であるという考えを示すもので,教育を第一とする虎三郎の主張の原点であり,黒船が導いた到達点でもあります。
 北越戊辰戦争に当たっても,国の将来のためには西軍と手を結んで外国に立ち向わねばならないと開戦に反対した虎三郎。敗戦のとき見舞いの米百俵を教育に充てたのは,まことに当然の帰結だったと思います。「米百俵の精神」とは,単に忍耐の大切さを訴えるものではなく,不安や困難を克服し,夢を実現しようという前向きな気持ちにしてくれる希望の種だからです。
 私たち長岡市民は,誇りを持ってその種をまき続けています。どうか皆さんの心の中にある希望の種を大切に大きく育て,豊かな未来を切り開いてください。長岡市民は心から応援しています。