VOS,No.111

 にいがたみてある記 シリーズ61 [Back]

越後と出羽の境界−鼠(ねず)ヶ関跡−

内 田   希(化学系 助教授)

図1.鼠ヶ関付近の地図(国土地理院地形図より)
 新潟県は何地方に入るのだろう。「北陸」といわれても少し違和感を感じるし,「東北」といわれてもしっくりこない。学会によっても所属する支部が違うようで,日本セラミックス協会では東北・北海道支部,電気化学会では北陸支部らしい。
 現代では感覚的に曖昧になってしまっているが,歴史を遡って律令時代には新潟(越後)と東北(出羽,陸奥)の間には厳然と境界線が存在した。新潟はヤマトの一部(歴史的には越後は北陸地方ということ)だが,東北はエミシのクニ,即ち殆ど外国扱いであった(但し,最近の研究によると人種的差異は無かったらしい)。その境界線上にエミシの南下に備えて設けられていたのが陸奥(福島)・常陸(茨城)国境の「勿来(なこそ)の関」,陸奥・下野(栃木)国境の「白河の関」,それに今回紹介する越後・出羽(山形)国境の「鼠ヶ関」である(八幡太郎義家や判官義経の名前と一緒に良く出てくる)。国道7号線を北上していくと笹川流れの北で海岸線に出て,さらに暫く行った先の低い岡に新潟・山形の県境がある。県境の坂を下りた先は鼠ヶ関川という小さな川が作った狭い平地で,河口は漁港になっている。古代鼠ヶ関跡は平地の南部,県境線を西へ辿っていって丘が切れたところの海側にある(図1参照。市街地北部の国道沿いに関の遺跡のようなものが整備されているが,これは「近世」念珠ヶ関,つまり江戸時代の関所跡で律令時代の関とは場所が異なっている。現在の県境線は古代の国境線に忠実なのである)。この位置取りは微妙で,平地全域を押さえるのに最適とは思われないが,当時,鼠ヶ関川の流域はエミシの領分と認めざるを得なかったのであろう。ヤマトがエミシを恐れていたらしいことがうかがえる。
図2.古代鼠ヶ関跡の石碑と案内板。手前の道が新潟−山形境界線。左手方向が数十mで海,右手がすぐにJRの線路でわたると県境の丘がある。
 昭和43年の発掘調査の後,遺跡は埋め戻され,小さな石碑と案内板がその在処を示すばかりだが(図2参照),往時はかなり大がかりな施設で,堀や柵などの軍事施設の他にそれを支えるための製鉄,製塩などの生産および居住施設を持っていたことが発掘の結果,明らかになっている。現在では遺跡の上に民家が建っているので致し方ないが,史跡として整備が進んでいる「白河の関」,「勿来の関」と比較すると歴史的意義の割にはちょと寂しく,もう少し取り上げられても良いような気がする。