VOS,No.112

 にいがたみてある記 シリーズ62 [Back]

山古志村中山隧道−長さ世界一の手掘りトンネル−

丸 山 暉 彦(環境・建設系 教授)

図1.中山隧道位置図
www.hrr.mlit.go.jp/chokoku/library/zuidoh_b/
より転載
 長岡市東南の奥座敷,蓬平温泉を越えると山古志村に入る。山間の村で谷あいに集落が点在している。冬には雪が4メートルも積もる。この村の東南端に小松倉集落がある。約240メートルの標高である。戦前は60戸あまりあったという。
 戦前は自動車をもっている人がほとんどいなかったし,道路は舗装されていないのが当たり前で,人々はどこへ行くにも歩くのが普通であった。長岡や小千谷までは15キロメートル以上,いずれも上り下りの多いけわしい道のりである。小出へは標高390メートルの裏山を越えて12キロメートルだが,ひと山越えた広神村の水沢新田集落からあとは平坦な道のりである。とくに雪のある時期は,かんじきをはいて歩く区間は短い方がよい。しかし,峠越え登り2キロ,下り2キロはかなりきつい。冬は猛吹雪にあって遭難する人もいた。病人が出た場合はみんなでかついで峠を越えた。
 ここにトンネルがあればずいぶん楽になる。昭和の初め,やってみようと考えた人たちがいた。村や県に相談しても相手にしてくれない。ならば自分で掘るしかない。みんなでやろうと呼びかけ40戸くらいの人たちが協力してくれることになった。
 長さはおよそ900メートル。昭和8年11月掘削開始。作業は冬の間だけである。坑口まで雪を踏んで穴掘りにかかる。道具はつるはしとスコップのみ。穴の大きさは高さ6尺(1.8メートル),幅4尺(1.2メートル)。二人が掘り,二人がトロッコで積み出す。戦争で中断する昭和18年までの10年間に掘り進んだ長さは324メートルだった。この間,記録的豪雪,凶作,資金不足,労力不足などに悩まされた。
図2.中山隧道水沢新田側入口
www.aa.wakwak.com/~mikaituu/R291nakayamaTN.htm
より転載
 戦後22年に掘削を再開したときは県から30%の補助金が出るようになったが,それでもずっと手掘りであった。しかし,昼夜兼行,冬以外も作業をすることができた。あとのほうでは,若い者が毎日山を越えて向こう側からも掘るようになった。貫通の10日ほど前から向こう側の掘る音が聞こえ始め,それからは競争するように掘り続けた。昭和24年5月までの3年間で残りの600メートルを掘りきってしまう。その後50年間,村の重要なインフラとして利用された。
 平成10年,すぐ脇に国道291号のトンネルが完成しその役割を終えたが,貴重な土木遺産として永久に保存されることが決まっている。天井にネットを張るなど安全対策をほどこして,平成14年5月からいつでも自由に通り抜けられるようになった。当時の雰囲気を残すために,あえて照明設備をもうけていない。視察に行かれるときは懐中電灯をお忘れなく。