VOS,No.114

 にいがたみてある記 シリーズ64 [Back]

三国峠往還

大 里 有 生(経営情報系 教授)

 安政5年(1858年),井伊直弼が大老に就任し,安政の大獄が吹き荒れていた年の初冬に,32歳の河井継之介は越後(新潟県)と上州(群馬県)の間にそそり立つ三国峠を越えて江戸に出府した。
図1.三国峠から見る上州路
後に,長岡藩7万5千石の家老となり,藩の軍事総督として維新史上最も壮烈な北越戦争を戦い,そして散った武士である。その河井継之介が,降り積もる雪の中,黙々と登った三国峠は今も新潟と群馬の県境にある。越後と上州を結ぶこの峠道は古くからの重要な往還路であり,多くの旅人が足跡を残している。
 紅葉が麓を彩り,枯葉の絨毯と新雪が山道を覆い尽くす初冬に三国峠を訪れてみた。湯沢の街並みを抜け,国道17号線(昔の三国街道)を南下すると,三国トンネルに到着する。これを抜ければ群馬県であるが,トンネルの手前から峠への山道を辿る。道は,幾重にも折れ曲がった坂路となり,下界の喧騒は消え,森閑とした山道となる。道端の清水のせせらぎも,周囲の原生林も,昔のままに違いない。ゆったりとした歩調で約30分,眼前にぽっかりと明るい空が広がる三国峠に出る。峠越えの道は,越後と上州の国境尾根と十字に交差し,文字通りの鞍部(saddle point)を呈している。峠には,二つの石灯篭が越後側と上州側に立っている。石灯篭の間に鳥居が建ち,その奥に小さな御坂(みかさ)三社神社がある。神社の背後には国境の山容が聳える。御坂三社神社は,上野赤城,信濃諏訪,越後弥彦の三明神を祭ったもので,三国権現と呼ばれている。三国峠から,上州側を右にして,国境線の尾根を北東へ登ると三国山(標高1636M)に達する。峠から1時間弱,7月頃にはニッコウキスゲが広がるお花畑と広々としたガレ場を抜けると,三国山の頂上に達する。ここから見る上州側の明るい景色は峠を越えて江戸を目指した人々の心を映すようである。
図2.峠に建つ御坂三社神社と三国山前衛

 峠の路傍に「三国峠を越えた人々」という石碑がある。 じっと眺めているとこの峠の歴史を感ずる。上杉謙信は天文21年(1552)にこの峠を越え,以後10数回も利用している。享和3年(1803)には伊能忠敬,河井継之介と相対した官軍側の責任者である公卿西園寺公望は明治2年,宰相原敬は明治8年,与謝野鉄幹と晶子,直木三十五,川端康成は期せずして同じ年の昭和6年に訪れている。多くの昔人が,それぞれの志を携えて越えた峠である。
 三国街道で一番の難所であった三国峠往還であるが,今は明るいハイキングコースの遊歩道である。