VOS,No.118

 にいがたみてある記 シリーズ67 [Back]

県北村上 夏の味

中 村   健(環境・建設系 助手)
図1 塩引き鮭
 新潟駅から羽越線にて約1時間ほどで,県北の城下町村上市に到着する.東には磐梯朝日国立公園を望み,西は白砂青松の日本海.街の中心には村上城跡のある臥牛山,通称「お城山」を中心とした旧武家町・商人町の町並みが残り,自然と歴史が調和した文化薫る風情を,今に残している。
 市の中心部を流れる三面川は,鮭が遡上する川として知られている.この地方では鮭のことを「イヨボヤ」と呼んでいるが,このイヨもボヤも魚を意味する方言である.つまり,「イヨボヤ」とは「魚のなかの魚」という意味で,この地方の人々が,いかに鮭と密着した生活を営んできたかが窺える.村上における鮭の歴史は古い.平安時代には遠く京都の王朝貴族に献上されていたことが記録に残っており,江戸時代に入ると鮭は村上藩の貴重な財源とされた.村上藩の下級武士・青砥武平治は,現在で言うところの土木技術者であったが,その傍らで鮭の自然孵化増殖システムである「種川の制」を考案し増殖に努めた.この「種川の制」とは,鮭の回帰性に注目し,三面川に戻ってきた鮭が安心して産卵できるように,三面川本流に種川,いわばバイパスを作り,サケの産卵・孵化を助けるものだった.流れの速い本流を堰き止め,分流を作る工事では武平治自ら指揮をとり,工事は宝暦13年(1763)から31年間の歳月を費やして完成する.種川の制によりサケは増殖し,藩に入る遡上金が1,000両以上にもなったといわれる.武平治はその功により,明和3年(1766)に禄を増して70石を賜るようになった.三面川に分流を設けて鮭を導き,産卵させ育て,春に本流に返してやる方法.この方法は,世界最初の鮭の人工孵化のはじまりとされている.
図2 酒びたし
 このような長い歴史の中から,村上では鮭を中心とした独特の食文化を築き上げてきた.なかでも代表的なのが「塩引き鮭」である.この塩引き鮭とは,新巻鮭とは異なり丁寧に尻尾の方から塩をすり込み,4〜5日塩漬けしたのち流水につけ,塩抜きしてから頭を下にして吊るして寒風にあて,乾かして仕上げるもの.このとき,切腹を連想させないために開腹箇所を2つに分け,首吊りを嫌って尻尾から吊るし干してあるのが,城下町ならではの特徴だろう.
 この塩引き鮭を1年がかりで乾燥発酵させて作るのが,「鮭の酒びたし」.冬の寒さで乾きが進み,春の風で旨味が醸成される.短冊状に切り出した身を皿に並べ,日本酒(できれば〆張鶴)を振り掛け,好みで針生姜かおろし生姜を少々.酒を振り掛けてから4〜5分おいた頃が食べごろだ.
 熟成の進んだ塩引き鮭は,梅雨時の湿気を帯びてさらに旨みが増すという.県北の3大祭りに数えられる村上大祭(7月6〜7日)に合わせて,県北の味を楽しんでみてはどうだろうか.