VOS,No.118

 学長就任・退任あいさつ [Back]

学長就任にあたって
長岡技術科学大学 学長
小 島   陽

 9月16日より本学の第六代学長に就任することになりました。非常に光栄であるとともにその責任の重さを感じています。
 昭和51年10月に本学が開学以来,約1/4世紀にわたり“実践的・創造的能力を備えた指導的技術者の養成”の理念のもと,多くの優秀な人材を社会に輩出してきました。豊橋技術科学大学とともに,技術科学の進展に大きく寄与してきました。特に,初代川上正光学長のもと,VOS(Vitality:活力, Oiginality:創造力,Sevices:世のための奉仕)の精神で大学院に重点を置いた新構想大学として出発した建学の理念は,当初から明確で,変わりません。さらに,高専との強い連携や学部・大学院一貫教育といった本学の個性,単科大学の特長を堅持し,一層強化していく必要があると思います。
 来年4月より,いよいよ国立大学法人化が実施されます。本学も一法人として独立した機関として歩むことになります。工学系の大学として,特色ある大学でなければ存続が維持できません。
 大学は,教育と研究の両面から評価されます。欧米のように,教育に特化した大学,研究に特化した大学というように大学をはっきり区別する社会もありますが,日本では,まだまだ,大学には最高の教育と最高の研究の両面が要求されています。よい研究者がよい教育者,よい研究者でないとよい教育者ではないとの固定観念がまだ残っています。
 昨今では,各大学に教育と研究の両面において,高度化,国際化,社会貢献が強く求められてきています。幸い,本学では,歴代の学長の下,いち早くこれらのキーワードにそった方針をたて対処してきました。教育の高度化では,学部・大学院一貫教育として学部定員と修士課程学生定員が同じ数となっています。また,博士後期課程を含めた大学院重点大学として教育の高度化がはかられています。さらに,本年度の教育版COE(特色ある大学教育支援プログラム)に,「実務訓練(長期実践型実習)と教育効果」が採択されました。研究面では,服部賢前学長のリーダーシップの下,「21世紀COEプログラム」に昨年につづいて本年も採択され,本学の研究水準の高いことが評価されました。
 国際化については,多くの海外の大学,研究機関と学術交流を結び,学生交流,共同研究を推進し,特に,ハノイ工科大学とは,ツイニング・プログラムと称し,ハノイ工科大学で2.5年学んだ学生を本学で3年生に受け入れ学部を卒業させ,両大学の学位を取得させるプログラムを開始しています。さらに,「21世紀COEプログラム」での国際研究拠点の中心大学としてハノイ工科大学を位置づけています。
 教育面での社会貢献の一番は,優秀な人材の輩出です。1回生が修士を出て早や21年が経ち,各方面で第一線の技術者として活躍しています。今後は,社会人の積極的な受け入れや専門職大学院の開設などを予定しています。研究面では,地域との連携を含めた産学連携が昨年発足したテクノインキュベーションセンターを窓口として積極的に動き始めました。知的財産本部の開設の準備も着々と進められています。ニーズオリエンテッド研究が求められますが,一方では,大学の本来的な目的である基礎研究の重要性も再認識されるべきです。基礎研究に対する大学の支援も重要な課題です。
 もう一度,初心に戻り,VOS精神に則り,さらなる飛躍に向け,みなさんとともに本学の発展につくしたいと思います。教職員及び学生諸氏のご支援とご協力をお願いし学長就任挨拶とさせていただきます。


退任にあたって
前長岡技術科学大学 学長
服 部   賢

ビアホイ 25年5月15日におよぶ長岡技術科学大学の任期最後の日をハノイで迎えた。21世紀COEプログラム“ハイブリッド超機能材料の創成”の海外での初のワークショップ,15日の晩は会場のバオソンホテルに近いビアホイ(ビアホール)で若い先生方,実務訓練でハノイに来ている学生諸君らと楽しい一時を過ごした。何しろビールが30円という安さ,楽しくない筈がない。末松先生がそのときの写真をくださった。やはり年齢は隠せない。これを見て思うのは長岡へ来たころの若さに満ちた自分である。
神代 昭和52年,機械系のキーパーソンであった手嶋先生に誘われて長岡技術科学大学にお世話になることになった。技大にくることが決まると直ちに機械系の宮ちゃん,久さん,建設系の丸山暉ちゃん,化学系の鎌田さんらとともに新橋駅前の蔵前工業会館に召集されて開学の準備作業に当たった。宮田さんは緻密な頭脳を持っているからカリキュラム担当,私は建物,実験室の設備をどうするか,久曾神さんが一番大変で乏しいお金で信じられないほどたくさんの本を集める役目を背負っていた。
桜寒 昭和53年4月,大学の教官室には暖房なし。長岡の四月はまだまだ寒い。先生の中には石油ストーブなどを持ち込んでいる人もいた。設備の何もない我々は寒さに震えながら一月を過ごした。
囲碁 当初囲碁の強い先生が多くいた。手嶋,脇屋,津端,松井先生など,それぞれ五段,六段と称する人達である。我々若手はこの先生たちに鍛えられてずいぶん強くなったものである。最終講義のとき,囲碁を技術教育の譬えに使ったのもそう言うところからきたのかも知れない。
蝗の大群 機械系の教官と第一期生のソフトボール大会,まだグランドもないので田宮病院の裏手の空き地を借りて行われた。試合終了後学食でビアパーティ,そこまでは良かった。我々が宿舎(当時は深沢1号棟のみ)に帰ると学生たちが集団で押し寄せて来て,分散して各先生の家を襲撃,どの家もイナゴの大群に食いつくされたように食べ物,飲み物すっかりなくなった。それより驚いたことは,誰々は何先生のところ,誰々は何処,と指示していた学生がいたことである。それが誰であったか覚えていないが,彼は世の中でもきっと良い仕事をしていることと思う。今の学生にもこんな子が欲しい。
実務訓練 川上初代学長は学生ばかりでなく,企業経験のない先生たちの実務訓練を提唱された。初年度若い先生たちはそれぞれ会社を探して研修を受けたものである。この教官の研修というのは私も大賛成である。特に最近企業出身の教官の比率が下がっていることを考えれば,なおのこと実現が望まれる。
長岡技大 長岡技術科学大学には長岡技術科学大学としての理念,信条があり,そこからできるカリキュラムがある。他からの評価に一喜一憂せず,またジャビー等の係わり合いの中においても自らを見失ってはいけない。あくまでも長岡技大としての道を進み,長岡技大としてのアイデンティティを守らなければいけない。
最後に 世の中は急速に変化してゆく。我々の世界では現状維持は退歩である。技大の益々の進展を期待を込めて見守っています。