VOS,No.119

 特集/大学の国際化と留学 [Back]

日本留学フェア
ベトナムとタイ
佐 藤 一 則
(学長補佐 国際交流担当)
バンコック会場における本学ブース(右が筆者)
表1 日本留学フェアに関するデータ比較
  開催日 来場者
人数
参加校
総数
国立大学
参加校数
ホーチ
  ミン会場
10月29−30日 2,002 40 18
バン
コック会場
11月1−2日 3,417 52 25
 日本留学について,受け入れ大学などがブース開設により情報を提供する「日本留学フェア」に,長岡技術科学大学が本年も参加した。この留学フェアは,日本国際教育協会(AIEJ)がベトナムとタイの双方の政府関連組織と協力して,毎年開催している。表1に示した来場者総数から両国における日本留学への関心の高さがうかがえる。来場者の内訳は高校生,大学生,社会人,高校・大学教員,および保護者の多岐に渡った。一方,日本からの参加校の約9割が大学で,そのうちの半数以上が国立大学であった。また,長岡技科大と同じ工学系の参加大学は,北陸先端大学院大,奈良先端大学院大,京都工芸繊維大(以上,両会場とも),豊橋技科大(ホーチミン会場のみ),および名工大(バンコック会場のみ)であった。
 本学ブース通訳を,ホーチミン会場では建設工学専攻修士2年のダン トゥン ダン君,バンコック会場では本年8月に本学博士課程を修了したエカリット リャンパーニット君(バンコックのKYOEI SYSTEMS社に勤務)に,それぞれ担当してもらった。ブース来訪者の主な質問内容は,「希望専門分野が本学にあるか?」,「奨学金は得られるか?」,および「学習にどの程度の日本語能力が必要か?」であった。本学の教育・研究組織の説明を除けば,ほとんどの質問には,ダン君とエカリット君が自らの留学経験をふまえて,懇切かつ的確に答えてくれた。
 ホーチミン会場では,高校生の来場者が比較的多かった。これは,ホーチミン市内の高校のいくつかが進路指導の一環として,本フェアへの参加を生徒に奨めていることも一因と思われる。そのため,どのような専門分野を選びたいかというよりは,奨学金の有無やアルバイト先を見つけることが容易かといった質問が多く,ブース担当者としてはやや期待はずれであった。しかし,人数は少なかったが,社会人や大学生の来訪者は本学大学院にどのような専門分野があるか熱心に質問し,その勉学に対する真摯さに共感を覚えた。一方,バンコック会場では,修士課程や博士課程への進学希望者のブース来訪者が多かった。彼らの多くは各々の専門分野および進学目的が明確のため,我々も具体的な説明が行い易かった。また,彼らは日本留学に対して,日本語能力の不安をそれほど持っていないように感じた。これは,おそらく彼らが経済的には余裕があり,かつ英語でのコミュニケーションにもほとんど問題がないためであろう。
 本学は残念ながら一般来場者における知名度の点では低かったが,本学を良く理解しているブース訪問者も少なくなかったことも事実である。これは,おそらく本学におけるAOTS留学制度や協定校締結などが影響していると思う。このような留学フェア参加を通じて,数多くの真摯な留学生が本学に入学希望してくれることを望んでいます。

韓 国
栄   隆 士
(留学生センター 教授)
 韓国の釜山とソウルでも,本学が参加する「日本留学フェア」が,それぞれ9月19日と21日に開かれた。参加したのは,約152の教育機関。うち大学は72校(国公立28,私立44)。残りのほとんどは専門学校であった。本学と同様の理工系の大学では,室蘭工業大,電気通信大(以上,国立),日本工業大,武蔵工業大(以上,私立)が参加していた。
 韓国の関係者からは,近年,韓国では,理工系の人気が下火になっていると聞いた。経済発展が達成されて,地道な努力が求められる理工系は,若者から敬遠されているのだという。確かに,そういう韓国社会の背景があるのか,両日で4,311人という多くの入場者が押しかけ会場全体ではむせ返るほどの熱気を感じたが,率直なところ,その割には本学ブースへの訪問者は多くなかった。とはいえ,技大ブースを訪れた学生たちは,既に自分の希望する専攻分野をはっきりと決めている学生がほとんどで,「自分の学びたい分野にどんな先生がいるのか」「生活費はいくらぐらいかかるのか」「どんな奨学金の受給が可能か」など,真剣な表情で具体的な質問が相次いだ。本学ブースの通訳として,材料工学博士課程の金賢眞君が同行してくれた。自身の体験も交えて,相談に来た学生たちに積極的にかつ正確に対応してくれた。

インド実務訓練記、あるいはワンダーランド異文化体験紀
大久保 努
(環境システム工学専攻1年)
 生まれて初めての外国。インドに降り立ったあの夜のことは今でも鮮明に覚えている。生臭いというのか人間の臭いというのか,独特のどんよりとした空気で覆われ,空港施設だというのに両替所の客引きが俺の手を握ってくる。不安。「地球の歩き方」にもそんな記載はなかった。
 私の実務訓練場所であったカルナール(Karnal)という地方都市はインドの首都デリーから北に約150km,長距離バスで3時間のところに位置する。パキスタンとの緊張状態が続くカシミール地方からも300kmの距離にある。典型的な農村集荷都市,それでも人口30万人はさすがインド。娯楽らしきものは,ムンバイ・ムーヴィ以外なーんもない。その町に長期滞在する外国人は,たぶん私が初めてだ(モチロン日本人としても)。そこでは我々の研究室(原田・大橋研究室)によって開発された新規の下水処理プロセスの実規模実証プラントがインド政府環境森林省によって建設され半年前から稼動していた。今回の実習の主目的は,その新規プロセスの処理性能のモニタリング調査であった。
 デリーからカルナールまでの交通手段は現地の人たちが使う乗合バスである。初めて乗車したときは胸中穏やかではなかった。何せカルナールがどういう町で何処に位置するのかも知らないのだから... 原田先生から指示された町の名は,「カーナル」。誰一人として,そんな町の名は知らない。やっとのことで,「カーナル」が「カルナール」だということが判るまでバスターミナルの雑踏のなかで数時間を費やした。ようやく,カルナール行きらしきバスに乗車。運転手のすぐ後方,ニワトリ籠のあいだに座席を確保し,そこから3時間,ただひたすら運転手に,お経のように「カルナール」を連呼した。運転手は迷惑そうな顔をしていたが俺は必死であった。
 当初は市内のホテル暮らしだった。ホテルといっても蚤だらけのベッドと水道の蛇口が一つ付いているだけであり,もちろんお湯などは出ない(一泊Rs.200,500円,めちゃ高)。カルナールでの生活にも慣れ始めた11月からは,下水処理場の役人から許可をもらい,管理棟2階の一室を借り職住近接の自炊生活を始めた。生活に必要な寝具一式,鍋や自転車など全てを購入しても総額Rs.2000(約5000円)。市場で野菜,コメ,肉(羊とニワトリ)を買い,ドラム缶を買い風呂をこしらえた。燃料は,天日干ししたカウ・ダン(牛糞)。えらく火持ちがよく,これ2個でよい。満天の星空を眺めながらの露天風呂は極上のゼイタク,一生の想い出である。
 インド滞在中の旅と言えば,インド人の友人の結婚式に誘われて,ヒンドゥー教の聖地,バラナシー(Varanashi)への三泊四日寝台列車不眠(二泊車中泊)のひとり旅である。寝台列車であったため一応は三段の簡易ベッドが備え付けてあるのだが周りがすべてインド人であり,荷物を取られないかと怖くて眠れるはずもない。現地,バラナシーのホテル(一泊Rs.50,125円)はもっと衝撃的であった。値段が安いなと思いながらもベッドに横になっていると,なんと知らないオッさんが入ってくるや俺のベッドに寝るではありませんか!?どうやら格安の秘密は,一つのベッドを誰かとシェアするところにあった。もちろん,その夜も一睡も出来なかった。
 実務訓練中には,隣町にインド空軍の戦闘機が墜落したり,近くのショッピングセンターで銃撃戦がありテロリストが二人射殺されたときにはさすがに不安を感じました。実験器材・薬品類の調達も今では軌道に乗り,今年度も私の後輩(高専の研究室から)が引き続きインドで実務訓練を行っています。後輩にちょっぴり影響を与えることができたかな,と嬉しい気持ちです。そして大変貴重な人生経験と異文化体験,充実した4カ月半でした。